2017年08月31日
伊佐山紫文44
昨日、インバウンド関連の打ち合わせの場所で出していただいたのが烏龍茶だと気づかず二杯も飲んで、カフェインでレロレロになり、梅田で同様にカフェインでラリって早足になってる浅川社長とはぐれ、阪急宝塚線に乗るはずが神戸線に乗ってしまい、十三で乗り換えて這々の体で曽根の練習場所にたどり着いた。
これにアルコールを加えたら大変な事になると、夜の酒は程々にしようと思いつつもカフェインで冴えた脳に杯を重ね、気づけば朝、全裸で布団に転がっていた。
「昨夜、風呂に入ってから、服着てなかったでしょ、これ、パンツ」
すみません。
朝五時半、夏休み最終日、息子は学校でラジオ体操だと言うし、妻は朝食を作れと急かす。
二日酔いだの、カフェイン離脱だのと言ってはいられない。
そもそも私は学生時代からコーヒーが大好きで、もちろん豆から挽き、お湯の温度にも気をつけ、一杯一杯、手で淹れていたものだった。
日に何度も。
それが、40歳を過ぎた頃からまったくカフェインを受け付けなくなった。
カフェインを飲む→眠れなくなりアルコールを過剰に摂取する→二日酔いになる→酔い覚ましにカフェインを飲む→眠れなくなりアルコールを過剰に摂取する→二日酔いになる……
何年か、この無限ループに陥ってしまった。
これではアカンと一念発起して、カフェインを一切やめ今に至る。
その、カフェインを止めた脳に、烏龍茶は直撃した
そこにアルコール!
……すみません。
考えたらうちの親父も、コーヒーの味が売りの喫茶店の店主でありながら、コーヒーは全く飲んでいなかった。
飲んでいるのを見たことがない。
若い頃は博多の喫茶店に通ってコーヒーを研究したというから、その頃は飲めてはいたのだろう。
やはり、私と同じく、中年に差しかかり、飲めなくなっていたのではないか。
それでもコーヒー豆の見立ては厳しかった。
認知症が出て、経営する喫茶店「ムンク」も開店休業状態になり、ついに親父はアル中病院へ、母親も認知症で別の病院に入院した十数年前、膨大な事務処理のために帰省した私は、家で大量のコーヒー豆を発見した。
試しに淹れてみると、これがもう、筆舌に尽くしがたい素晴らしいものだった。
香りはもちろん、口中に広がる清涼感、スッキリとか、そういう言葉に出来るものではない。
とにかく、全てが浄化されるような、真夏の夜の奇跡の秋風のような、なんとも言えぬ清涼感である。
日田に帰っている間、毎日、私はこのコーヒーをポットに入れて母の病院に届けた。
「皆さんでどうぞ」と。
あとで、これが看護婦さんたちの間で話題になっていたことを知った。
「ムンク」の味がする、と。
親父は、自分がコーヒーを飲めなくなっても、店で提供する豆の吟味は決して怠ってはいなかったのだ。
あれから十数年、父が逝き、母が逝き、コーヒーが飲めなくなっても、あの味を懐かしむ自分がいる。
そういうものを一つでも、私は我が息子に残すことが出来るだろうか。
これにアルコールを加えたら大変な事になると、夜の酒は程々にしようと思いつつもカフェインで冴えた脳に杯を重ね、気づけば朝、全裸で布団に転がっていた。
「昨夜、風呂に入ってから、服着てなかったでしょ、これ、パンツ」
すみません。
朝五時半、夏休み最終日、息子は学校でラジオ体操だと言うし、妻は朝食を作れと急かす。
二日酔いだの、カフェイン離脱だのと言ってはいられない。
そもそも私は学生時代からコーヒーが大好きで、もちろん豆から挽き、お湯の温度にも気をつけ、一杯一杯、手で淹れていたものだった。
日に何度も。
それが、40歳を過ぎた頃からまったくカフェインを受け付けなくなった。
カフェインを飲む→眠れなくなりアルコールを過剰に摂取する→二日酔いになる→酔い覚ましにカフェインを飲む→眠れなくなりアルコールを過剰に摂取する→二日酔いになる……
何年か、この無限ループに陥ってしまった。
これではアカンと一念発起して、カフェインを一切やめ今に至る。
その、カフェインを止めた脳に、烏龍茶は直撃した
そこにアルコール!
……すみません。
考えたらうちの親父も、コーヒーの味が売りの喫茶店の店主でありながら、コーヒーは全く飲んでいなかった。
飲んでいるのを見たことがない。
若い頃は博多の喫茶店に通ってコーヒーを研究したというから、その頃は飲めてはいたのだろう。
やはり、私と同じく、中年に差しかかり、飲めなくなっていたのではないか。
それでもコーヒー豆の見立ては厳しかった。
認知症が出て、経営する喫茶店「ムンク」も開店休業状態になり、ついに親父はアル中病院へ、母親も認知症で別の病院に入院した十数年前、膨大な事務処理のために帰省した私は、家で大量のコーヒー豆を発見した。
試しに淹れてみると、これがもう、筆舌に尽くしがたい素晴らしいものだった。
香りはもちろん、口中に広がる清涼感、スッキリとか、そういう言葉に出来るものではない。
とにかく、全てが浄化されるような、真夏の夜の奇跡の秋風のような、なんとも言えぬ清涼感である。
日田に帰っている間、毎日、私はこのコーヒーをポットに入れて母の病院に届けた。
「皆さんでどうぞ」と。
あとで、これが看護婦さんたちの間で話題になっていたことを知った。
「ムンク」の味がする、と。
親父は、自分がコーヒーを飲めなくなっても、店で提供する豆の吟味は決して怠ってはいなかったのだ。
あれから十数年、父が逝き、母が逝き、コーヒーが飲めなくなっても、あの味を懐かしむ自分がいる。
そういうものを一つでも、私は我が息子に残すことが出来るだろうか。
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