「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
https://youtu.be/fBb8G8dhXqw

今回は、伊佐山の得意な時代ナチス時代後のアメリカに亡命した女流作家ハンナ・アレントの話。
私は最近、テレビが嫌でニュースさえも見られなくなっている。 病んでます笑
スーパーにレジに並んでいてうっかりして、並ぶべき線より前に立っていたようだ。前の方が振り向いて、
「すみません。もう少しディスタンス取ってもらえますか?」と。
「あ、すいません。。。。」と気が付いて、後ろに下がりました。
「ディスタンスね。。。」
誰か、本当のことを知っている人がいるなら、勇気を出してください。
私たちが今、努力していることは、本当に必要なことなのですか。
蒸し暑い梅雨時の蒸れたマスクを混んでもいない場所で付けていることが、本当に今必要なことなのですか。
普段のごく普通の生活の中で、肌を荒しながら、手指消毒し続けることが、本当に今必要なことなのですか。
本当に本当のことなら、今まで通り、つづけます。
2020年06月10日

伊佐山紫文575

息子と『史記』を読んでいて、「虞美人」の下りにたどり着いた。
「これ、読んだことあるぞ」
 と、息子が言う。
 確かに何年か前、普通の漢文の参考書で読んでいた。
 有名な「四面楚歌」の場面である。
 思えば私も、小学生の頃、中国文化にハマりかけた頃、この下りを読んでいた。
「虞や虞や、なんじをいかんせん」
 の項羽の詩は、私の心の底に沈んだものだった。
「四面楚歌」の状況下、「虞美人」と言われたほどの女性である。
 我が亡き後、きっと劉邦はこの戦利品を寵愛することだろう。
 贅を尽くし、そして、きっと虞美人の心をとろかすだろう。
 それを思うと耐えられない。
「虞や虞や、なんじをいかんせん」
 生かしておけば虞美人は幸福になるかも知れぬ、しかし、それにはこの項羽が耐えきれぬ。
「虞や虞や、なんじをいかんせん」
『史記』には記さないが、この後、虞美人はこの詩に答える詩を唱えて自死するのである。
 ちなみに「虞美人草」は紅いケシのこと。
 虞美人の血の色だという。
 日本語では「ひなげし」、英語で「ポピー」、フランス語で「コクリコ」。
 与謝野晶子の歌に、

 ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君もコクリコ われも雛罌粟

 と言うのがあるが、フランスで再会した鉄幹と自分を項羽と虞美人になぞらえた、晶子らしいエロティックで生意気なものである。
 思えば、チェン・カイコー監督の、
『さらば、わが愛/覇王別姫』
 は名作だったなぁ。
 重厚で、サイケで。
 こんなことをいつの日か息子と語りあう日が来るのだろうか。
2020年06月10日

伊佐山紫文574

zoom飲み会で発見したこと。
 即席セッションが面白い。
 二胡さんが弾いた曲をピアノさんがなぞる。
 当然、そこにはピアノさんの解釈が入るわけで、それが面白い。
 使わせてもらいます。
 コロナ騒ぎの下でも進化しますよ、夙川座の舞台。
2020年06月10日

伊佐山紫文573

息子と朝に『史記』を読んでいて、これって、教育上どうなんだと思う。
 とにかく、殺す、殺す、殺す。
 気に食わないから斬り殺す、敵の首都は焼き滅ぼす、まっとうな意見をした側近は煮て殺す。
 敵の「婦女」は「収める」。
「どういう意味?」
 と聞かれれば、昔は女は財産と同じ、奪ったり奪われたりするものだったんだ、と答えつつ、日本にそんな時代あったかな、と思う。
 戦国時代に一瞬、あったかも知れんが、『史記』の描くような凄惨なものではないと思う。
 似たような例は西洋ならいくらでも挙げられるが。
 例えばギリシャのスパルタには女児はいなかった。
 女は奪ってくるものであり、そんなもの、育てる意味などない。
 女児は生まれてすぐ、殺されていたのである。
 対するに、我が『古事記』『日本書紀』『万葉集』の、のどかでおおらかなことよ。
 時代が下って『源氏物語』は、基本、女が男を選ぶ物語であり、選ばれ続けるには何が必要かを説くマニュアル本でもある。
『平家物語』でも、平家の女たちは源氏のものとなることなく、壇ノ浦に沈み、死にきれず生き延びては出家して菩提を弔う。
「収め」られることなどあり得ない。
 かのような日本という国の哀しさ、切なさ、優しさも少しずつ伝えていきたい。
プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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