「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2020年07月21日

伊佐山紫文605

コロナに感染しないガイドラインとやらがあるらしく、マスコミはその遵守を呼びかけるが、ちょっと待て。
 そのガイドラインとやらで何を防ぐのか。
 正確には、どれだけの確率で感染を防げるのか。
 きちんとした数値を出して議論するのが科学というものだ。
 例の42万人死亡説にしても、数値を出すからその馬鹿馬鹿しさが明らかになるわけで、数値も何もないところでガイドラインと言われても議論のしようがない。
 と言うのも、先日、とあるピザ屋で昼食を摂ったのだが、食事の前に一人ずつトイレで手を洗えという。
 ところが、その蛇口が自動ではなく、必ず手で触れなければならない。
 手を洗う前、洗った後、必ず蛇口に触れる。 
 その日の客に一人でも感染者がいれば、あっという間に蔓延である。
 店としては何かのガイドラインに沿ってやってるつもりなんだろうが、これまでクラスターが発生しなかったのはただの幸運に過ぎない。
 と言うか、こんな店では他の感染症も防げまい。
 肝心のピザも不味かったし、二度と行かないが。
 ガイドラインとやらがあってもこんなものだし、と言うか、ガイドラインとやらが感染を広めている一面もあるってことだ。
 だから、事後的に感染経路を探っても無意味である。
 単に運の悪い事業者を袋だたきするだけで。
 感染者の数値にしても、今年の春あたり、症状が出ても数日在宅してそれでも怪しい人にのみ検査をしていた頃と、無症状の「夜の街」関係者を狩り出している現状では、母集団が違いすぎて単純比較は出来ない。
 今やっているのは、ホストの尿道や嬢の膣にいるクラミジアを探しているだけかも知れないのだ。
「夜の街」とはそういう意味でしょう。
 そんな常識を蹴り飛ばし、ひたすら煽り、視聴率を稼ごうとするのがマスコミであって、今に始まったことではないが、それでも今回は酷すぎる。
 憂鬱になるのは、メンヘラ百合子は目出度く再選を果たしたが、トランプはこれからである。
 11月まで、感染予防の名の下に大規模な集会を規制するなど、コロナを徹底利用してくるだろう。
 これにまた乗せられる我が国マスコミの姿が目に見えるようで、実に情けない。


タグ :コロナ禍

2020年07月21日

伊佐山紫文604

なんで「夜の街」か、という説明が足りなかったかも知れない。
 PCR検査は、そもそもがピンポイントでコロナを拾うものではないし、逆に言えば、他のウイルス感染も拾ってしまう。
 クラミジアという、女性器で無症状でいるウイルスも相当の確率で拾うと言われている。
 なぜ韓国にPCRキットが膨大な数存在していたのか、セックスワークの是非を置いて想像して欲しい。
 たとえばアナタがセックスワーカーで、ウイルスの検査を受けるとする。
 日本ではセックスワークそのものが無い物とされているから、自己負担である。
 ネットで調べれば3万円以上かかる。
 自分自身は無症状で、独身で、彼もいない。
 誰が受ける?
 それが無料で、陽性となれば10日間ホテル住まい、しかも10万円もらえる。
 コロナじゃなく、クラミジアだったとしても、治療は保険がきく。
 検査代無料、それで10万円!
 アナタ自身はどうでもよくても、雇い主は積極的に検査に連れて行くだろう。
 で、陽性がドンドン増える。
 おそらくメンヘラ百合子はこれに気付いていて利用しようとしたのだろう。
 ところが選挙を終えても陽性者は増え続ける。
 オリンピックをやるならどうにかして納めなければなるまい。
 だが、オリンピックを中止するなら、煽りを続けるだろう。
 メンヘラ百合子が、もし、都民の安全を考えてオリンピックを中止したという業績を掲げて首相になる、という野望を抱いたとしたら、この騒ぎはずっと続くだろう。
 もともとオリンピックなど、猪瀬が取ってきたものだ。
 メンヘラ百合子にとって、ぶっ潰すのも快感だろう。

タグ :コロナ禍

https://youtu.be/rLnKkwsFXr8

タグ :拉致

https://youtu.be/6AKlbAMVhb8

タグ :光州事件

https://youtu.be/_FZwdQUcCRQ
2020年07月18日

伊佐山紫文603

今に始まったことではないが、この国の政治とメディアは酷すぎる。
 支持率中毒、視聴率中毒で、ありもしない危機を演出し、煽り煽られ、もう自分たちだけでは制御不能の事態に陥っている。
 そもそもがメンヘラ百合子の再選のためだけに始めた「夜の街」狩りも、感染者がこれだけ見つかれば止めるわけにはいかず、もうしばらくは狂騒も続くだろう。
 ここにきていちばん嫌なシナリオは、史上二位の得票数で再選を果たしたメンヘラ百合子が、史上初の女性宰相という野望を再び抱き、オリンピックを捨ててコロナ騒ぎの継続を図ることだ。
 コロナ克服のためにオリンピックを中止というのは、国際的にはともかく、現状では都民や日本国民には受ける。
 苦渋の決断、小池にしかなしえない決断として、さらに支持率を上げることだろう。
 もちろん、そもそもが幻影のコロナだから、どんな施策をとったにしても、とらなかったにしても、何にも起きない。
 そして何も起きなかったことを手柄として国政に打って出る、と。
 それにしても国の対応が稚拙すぎる。
 GoToから東京を外すとか、メンヘラ百合子の思うつぼ。
 コロナ対策に消極的な国と、それを糺すメンヘラ百合子と、柳の下の二匹目のドジョウそのものだろ。
 と言うか、最初からグルなのか?
 検査の母集団がどうとか、きちんとした議論などやる気も失せる。
 日頃から勇ましく政権批判を繰り返している文化団体よ、日頃から勇ましく政権批判を繰り返している弁護士と組んで裁判を起こせ。
 法廷に専門家を引きずり出して根拠を問え。
 そして損害を徹底的に賠償させよ。
 このままではオリンピック中止、メンヘラ首相登場という、最悪の結果が待っている。
2020年07月18日

伊佐山紫文602

「劇場クラスター」
 などという恐ろしげな言葉まで飛び出して、まるで公演することそれ自体が悪であるような風潮が出てきている。
 とんでもない。
 ちゃんと対策してやれば大丈夫である。
 と言うような訳知り顔がもっともトンデモナイ。
 どんなガイドラインに沿ってやっても、感染者は出るときは出るし、出ないときには出ない。
 東京の「劇場クラスター」にしても、それが発生した後で、密接だのなんだのの状況を探して、探して、探して……見つけ、それを原因だと決めつけただけの話である。
 仮に物品販売での握手があったとして、どっちからどっちに感染したのか証明できるのか。
 可能性として、まず客が無症状で感染しており、俳優に握手を求め、拒みきれずに応じた俳優が感染し、他の握手を求めた客にうつし……
 この場合、感染を知らずに握手を求めた客に責任があるのか、それともガイドラインを守りきれなかった主催者に責任があるのか。
 そもそも握手でうつったことを証明できるのか。
 本当に裁判になれば、刑事でも民事でも、きちんとした判決は出せないだろう。
 と言うか、誰が誰を訴えるのか、ヘタしたら被害者のつもりの原告が加害者にされるかも知れず、こんな訴訟を引き受ける弁護士がいるとは到底思えない。
 今マスコミが騒いでいる「劇場クラスター」など、法的には何の実体もない集団幻想に過ぎない。
 だから逆に「劇場クラスター」などとレッテルを貼られた団体は、マスコミや、そもそもの情報をリークした保健所を名誉毀損で訴えたら良い。
 まずは「劇場クラスター」の定義と、それをもたらした主催者の過失の有無と因果関係を証明せよ、と。 
 それが出来なければ、これは風評被害であり、それによって生じた損害を賠償せよ、と。
 続演がキャンセルされていた場合、損害額は合理的に計算できる。
 精神的苦痛も合理的な範囲で計算できる。
 力関係からいってそんな訴訟を仕掛けてはこないだろうと踏んだマスコミの、いつもの弱いものイジメなのではあるが。
 もちろん、全てを証明してから報道しろとは言わない。
 ただ、当局のリークをなぞり、増幅するだけなら、そんなものを報道とは言わない。
 ただの拡声器である。
 いや、拡声器を手に弱者の悪口をふれまわる悪辣ないじめっ子でしかない。
「社会の木鐸」の美名は返上すべきである。

2020年07月18日

伊佐山紫文601

『スクエア・アンド・タワー 上下』
ニーアル・ファーガソン著 柴田裕之訳 東洋経済新報社
「広場と塔」という謎めいたタイトルだが、言ってることは単純明快。
 上意下達の垂直権力と、横に伸びる融通無碍なネットワーク。
 そのせめぎ合いとして世界史を見ていく。
 確かにネットワークという概念は新しく、そういう目で観ると、なぜ印刷機が世界を変えたのか、インターネットが世界を変えつつあるのか、理解できる。
 面白く読んだが、これから読むなら、同じ著者の『マネーの進化論』(ハヤカワノンフィクション文庫)の方が遙かにお薦め。
 貨幣という「ミーム」(文化的遺伝子とでも言うか。目に見えない文化的ウイルスのようなもの)の進化を説いて飽きさせない。
2020年07月15日

伊佐山紫文600

「ワーグナーの毒」
 という言葉があるほどに、ワーグナーの音楽には中毒性がある。
 現に、ここ数年、ワーグナーばっかり聞いている。
 EMIとグラモフォンのボックスやショルティの「リング」を繰り返し、繰り返し、耳にタコが出来るほど、一日中、聞いている。
 もちろん、家事をしながら、本を読みながら、文を書きながら、ではあるが、たとえば、カルロス・クライバーの「トリスタンとイゾルデ」には思わず手を止めて聞き入ってしまうし、あるいはクレンペラーの「さまよえるオランダ人」には序曲からワクワクする。
 で、たまに、何が歌われてるのか調べてがっかりする。
 下らね~
 どうしてこう、どれもこれも芝居として、歌詞としてつまらないのか。
 と言うか、いかがわしいのか。
 神はなぜ、こんな三流の劇作家に超一流の楽才を与えたのか。
 そもそも女性の献身と自己犠牲ばっかし。
 女をなんだと思ってるのか。
 そして男たちの身勝手。
 どす黒すぎてどうしようもない。
 それがもう、音楽として聞けば、この上なく素晴らしいのはなんでだ。
 楽才と精神性は無関係なのか。
 そういえば、フィッシャー=ディースカウ の『ワーグナーとニーチェ』って美しい本もあった。
 アドルノも色々書いてる。
 暇を作って読み返してみるかね。
 これからの仕事のために。
2020年07月15日

伊佐山紫文599

コロナで味を占めた、というか、危機は飯の種になると気付いた連中にとっては、コロナ収束なんて事態は絶対に避けなければならないわけで、再選を控えた首長たち、あるいはこの騒ぎで注目された学者らはなんだかんだと屁理屈を並べ立てて、危機を長引かせようとする。
 こうして飯の種にしている連中がいる以上、この騒ぎは簡単には収まるまい。
 私が当初考えていた以上に事態は深刻だ。
 人々の恐怖に付け入り、それを飯の種にする連中の浅ましさがここまでとは。
 浅ましい。
 本当に浅ましい。
 その浅ましさに煽られて自粛ポリスと化すマスコミ。
 ウイルスってのは、対策を取らなかったから、軽率な行動を取ったから感染するわけじゃない。
 個人であれ、集団であれ、感染するときは感染する。
 誰の責任でもなく、経路不明のまま、感染するときは感染する。
 それを何かの努力によって防げると思い上がることから、全ての間違いが始まる。
 ウイルスは天罰ではない。
 何か間違った行いの結果感染するわけでも、蔓延するわけでもない。
 感染するときは感染するし、蔓延するときは蔓延する。
 地震や他の天災と同じ、これは運命である。
 運命の前に、もう少し謙虚になったらどうだ、と思う。
 ただ、公演を控えている身としては、この馬鹿騒ぎを高みの見物という訳にはいかない。
「感染症対策を進めつつ、徐々に……」
 などと、現場に責任を丸投げされても、そりゃ主催者としては政府や自治体や業界団体の示した「指針」とやらに従うほかはない。
 意味の無い「ソーシャル何チャラ」だとか、手を荒らすだけの消毒とか、自殺行為かもしれない真夏のマスクだとか、アホの極みと分かっていても他人に強要しなければならない事態も起きてくる。
 それで、たとえば、マスクで集団熱中症とか起きたら、いったい誰が責任を取るんですか?
 責任など知ったことか、ってことでしょう。
「私はオオカミ少年と呼ばれることを恐れません。これからも発言し続けます」
 などと、殉教者気取りで無責任な言論をまき散らし、飯の種にする連中のことだ、誰も責任など取ろうとはすまい。
 言いっぱなし、やらせっぱなし、人が死んだら現場のせい。
 本当に、世も末だと思う。
2020年07月14日

伊佐山紫文598

おそらくメンヘラ百合子にとって誤算だったのは、煽りマスコミに煽られた人々の恐怖と、恐怖を煽ることに味を占めたマスコミのしつこさだろう。
 とにかくコロナは視聴率が取れた。
 コロナの恐怖を煽っていればスポンサーもついた。
 この成功体験はそうそう捨て去れるものではない。
 東京以外の知事も同じようなものだ。
 コロナで騒げばテレビに出られる。
 コロナの実害などないに等しいし、だとすれば、これほど美味しいことはない。
 見舞金目的の若者を使って危機を煽り、テレビに出て選挙運動……
 メンヘラ百合子は再選したが、他の知事はこれからだからね。
 自らの再選のために、コロナを利用し尽くす。
 政治っちゃ、マスコミっちゃ、そういうもんだと言えばそうなんだが、今回は酷すぎる。
 本当に酷すぎる。
 世を捨てたくなるくらい。
 それでもまあ、希望の歌を書いていきますよ。
 魯迅が共感を込めて引用したハンガリーの詩人、ペテーフィの一節、
「絶望の虚妄なるは、希望のそれと合い同じ」
 同じく虚妄なら、絶望より希望を歌おう。
 まあ、もちろん、希望ってのはペテーフィに依れば「娼婦」であり、青春の全て、人生の全てを貢がせた上、最終的には裏切るもんなんだろう。
 それでもね、こちとら、そんなこと、とっくに知ってるんだよ。
 知ってて、あえて希望を歌う。
 絶望に裏打ちされた希望を、明るく、透明に、清涼に。
 まるで処女を装う「娼婦」のように。
 コロナはともかく、来年の公演の構想に入ってます。
2020年07月12日

伊佐山紫文597

東京都の感染者数が云々と、連日連日、何を言ってるんだ。
 電通が仕組み、メンヘラ百合子が乗り、二階を巻き込み、安部が折れて巻き起こった人為的な空騒ぎだろ、コロナなんて。
 そもそも日本では人は(自然現象を超えて)死んでないし、医療崩壊も起きてない。
 何も(自然現象としては)起きてはいない。
 起きたのは人為的な空騒ぎ。
 ただ、連中が予想していなかったのは、人々の恐怖の根深さである。
 いったんコロナが怖いとなったら、もうどうしようもない。
 日本人は感染を「自業自得」と捉える。
 一神教的な神のいない日本では、感染を人為で防げると思い込んでいるからだ。
 だから感染者数の増加を自粛の緩みと捉えてしまう。
 実際には、検査を受ければ何万円という対価につられた若者が感染者数を増やしているだけなのに、そこは報道しないし、報道されたくもない。
 ひたすら自粛、自粛しないものへの攻撃。
 人知を超えた神のいない日本ならではの光景だろう。
プロフィール
notebook
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

< 2020年07>
S M T W T F S
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